“日日是好日”

Keisuke-Nakamura-Hokkaido

“世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、フェリーニの『道』のように、何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。そして、わかるたびに、自分がみていたのは、全体のほんの断片にすぎなかったことに気づく。

「お茶」ってそうゆうものなのだ。

二十歳のとき、私は「お茶」をただの行儀作法としか思っていなかった。鋳型にはめられるようで、いい気持ちがしなかった。それに、やってもやっても、何をしているのかわからない。一つのことがなかなか覚えられないのに、その日その時の気候や天気に合わせて、道具の組み合わせや手順が変化する。季節が変われば、部屋全体の大胆な模様替えが起こる。そうゆう茶室のサイクルを何年も何年も、モヤモヤしながら体で繰り返した。

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すると、ある日突然、雨が生ぬるく匂い始めた。「あ、夕立が来る」と、思った。

庭木を叩く雨粒が、今までとはちがう音に聞こえた。その直後、あたりにムゥっと土の匂いがたちこめた。

それまでは、雨は「空から落ちて来る水」でしかなく、匂いなどしなかった。土の匂いもしなかった。私は、ガラス瓶の中から外を眺めているようなものだった。そのガラスの覆いが取れて、季節が「匂い」や「音」という五感にうったえ始めた。自分は、生まれた水辺の匂いを嗅ぎ分ける一匹のカエルのような季節の生きものなのだということを思い出した。”

日日是好日(にちにちこれこうじつ)森下典子

Keisuke-Nakamura-Hokkaido

お茶のお稽古は、意味を教わることなく、何度もなんども繰り返すという。

まだお茶を始めたばかりの著者が、点前を覚えようとして、指を折って順番を暗記しようとしたら、「あっ、だめ、覚えちゃ!」とぴしゃりと止められたという。

「頭で覚えようとしちゃダメなの。稽古は、一回でも多くすることなの。そのうち、手が勝手に動くようになるから。」と。

頭で考えるのではなく、体で覚えるまで繰り返す。すると、あるときなにも考えていないのに、手が動く瞬間がくる。まるで何かに操られているようでいて、不思議と気持ちの良い感覚。

そう、点と点が、少しずつ結ばれていくように。

Keisuke-Nakamura-Hokkaido

「日日是好日」(毎日がよい日)

「目を覚ましなさい。人間にはどんな日だって楽しむことができる。そして、人間は、そのことに気づく絶好のチャンスの連続の中で生きている。あなたが今、そのことに気づいたようにね」”

“気づくこと。一生涯、自分の成長に気づき続けること。「学び」とは、そうやって、自分を育てることなのだ。”

日日是好日(にちにちこれこうじつ)森下典子

 

写真 Keisuke Nakamura

文・まとめ natte